私は先日、福島県郡山市で牧師として、地域の、方々と共に歩んでいる方の講演を聞く機会を与えられました。その中で今、福島県で子どもを育てている方と共に歩む意味を教えて頂きました。講師は福島県の現状をご本人の実体験から丁寧に語ってくださりました。現在、福島の子どもたちの中には小児甲状腺ガンの疑いがあると診断された方が増えており、このような状況の中で子ども達また、親達は病状の悪化を心配し、不安を抱いておられることを伺いました。講師は自ら福島県に住み、自らも病を持つ中で託された命の只中で生きる実践をなさっていました。講師について、さまざまな角度で考えることができますが、しかし、講師が真摯に「小さくされている方」と共に歩もうとする姿がありました。その講師の言葉に次のような言葉がありました。『主よ、今も眠れない方が多くおられます。「お前は生きるんだぞー」というお連れ合いの最期の声、「お母さーん」と叫ぶ娘さんの声が心に刻まれ、泣きながら目がさめる方がおられます。津波で家が押し流されていく様子を途方にくれて見つめるしかなかったあの日のことが、まるで今のことのように思い出されてしまう暗い夜。涙の枯れることのない4年です。「あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」(詩編56:9)私たちは被災された方と一緒にその涙をあなたに差し出してきました。あなたの涙の革袋に入れていただいていることを信じます』とあります。これは、「小さくされている方」と共に歩む中での「叫びの声」であり、「深い悲しみにある方の魂に寄り添うことを願う祈り」です。

私たちの日常生活には、個々の家庭にさまざまな課題があります。その課題を個々が克服していかなければなりませんが、「小さくされている方」のことを覚え、課題とし、自分自身のできることを行うことが、「共感」することではないでしょうか。

私たちの園では東日本大震災にあった方々を覚えて、バザーの収益を今も送っています。それぞれの課題は違いますが、「小さくされている方」に寄り添いつつ、私たちのできることを行うことによって、私たちの生きている場所が、一人の尊厳を大切にし、相手を思いめぐらす心が豊かに育まれていくのではないでしょうか。園の子ども達に人生の中で人間関係を豊かにする思いりの心が育っていきますよう、一人一人を覚えて関わっていきたいです。                             木村 真彦