私たちの九州の熊本・大分にて大地震が起きました。園の保護者の皆様および関係者の方の中で被災に見舞われた方の上に神様の慰めと癒し、そして、必要な支援があたえられますことをお祈り申し上げます。

阪神・淡路大震災、新潟中越地震、東日本大震災、熊本・大分地震と私たちの住む日本ではいつ、地震が起きるかわからない状況があるといえるでしょう。その中で、それぞれに被災をし、大きな痛みと悲しみと苦難を背負わなければならなくなった方々は、自然の力から自らを「小さくされてしまう」現実に遭遇しなければなりません。その中で共に歩み、助けて合っていこうと願って、ボランティア活動に従事する方や被災者へのさまざまな支援する方が現在、熊本・大分でさまざまな展開をなされています。これから被災を受けた方には長期的な支援が必要となります。そのためにも、私たちは他人事として忘れ去るのではなく、絶えず痛みに覚え、支えあう共同体であり続けたいと心から願います。昨年の幼稚園の園長会にて福島で牧師として活動している方の言葉の中に次のような言葉がありました。『主よ、今も眠れない方が多くおられます。「お前は生きるんだぞー」というお連れ合いの最期の声、「お母さーん」と叫ぶ娘さんの声が心に刻まれ、泣きながら目がさめる方がおられます。津波で家が押し流されていく様子を途方にくれて見つめるしかなかったあの日のことが、まるで今のことのように思い出されてしまう暗い夜。涙の枯れることのない4年です。「あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」(詩編56:9)私たちは被災された方と一緒にその涙をあなたに差し出してきました。あなたの涙の革袋に入れていただいていることを信じます』とあります。これは、「小さくされている方」と共に歩む中での「叫びの声」であり、「深い悲しみにある方の魂に寄り添うことを願う祈り」です。

さらに聖書の中にこのような言葉があります。「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているからです」ヨハネの手紙一4章

私たちの日常生活には、個々の家庭にさまざまな課題があります。その課題を個々が克服していかなければなりませんが、「小さくされている方」のことを覚え、愛をもって関わり、自分自身のできることを行うことが「共感」することではないでしょうか。

今年度の教会・幼稚園主催のバザーを開催する予定ですが、その収益を困難に覚えている方に送りたいと心から願います。それぞれの課題は違いますが、「小さくされている方」に寄り添いつつ、私たちのできることを行うことによって、私たちの生きている場所が、一人の尊厳を大切にし、相手を思いめぐらす心。つまり愛が豊かに育まれていくのではないでしょうか。園の子ども達に人生の中で人間関係を豊かにする思いやりの心が育っていきますよう、一人一人を覚えて関わっていきたいです。

木村 真彦